SCOPES

今、その人に、3つの視座を 尋ねる連載

vol.2-3 バラバボン

今、その人に、3つの視座を尋ねる連載「SCOPES」

今回お話を伺うのはバラバボンさんです。

www.nicovideo.jp

三つ目の質問「音MADの領域において今後見てみたいものはありますか」という点についてお話を詳しく聞いてみたいと思います。

今回の質問に対する回答はこちら。

・音MADの領域において今後見てみたいものはありますか

リアルタイム音MADがどんどん拡張されたら面白いと思っています。 

音MADを演奏する装置が出てきたり、屋外に出て演奏したり、屋外の音をその場でサンプリングして、その場で音MADができるなど。
こんな感じの流れが出てきたら、非常に面白いと思います。 

あと「音MADにされてる女の子感」から思いついた構想がありました。
例えばapu子などの人形を作り、それに刺激を与えると、音が鳴り、それを使ってリアルタイム音MADができたら楽しいなあと考えていました。
プログラミングの知識や電子工作の知識が無さすぎて、構想止まりになってしまってます。 

最近「ネットから出て音MAD活動をする」動向は、クラブで音MADを見るや、音MADを流す、などあると思います。 

それらも非常に楽しいのですが、さらにクラブから屋外に出て、「外でゲリラ的に音MADを流す」、「外の音を収集し音MADを作る」、そういったものをもっと見たいです。 

外の音のサンプリングによる音MADに、
柴又などがありますが、私のイメージだともっとラディカルに、「音により素材を支配する」
「素材や曲が音MADにされている(従わされてる)感」が見れたらすごいうれしいです。

(やりとりの期間:2025/01/20~2024/02/18)


─こちらの回答、興味深い見地にあると思いました。まずお伺いしたいのですが、そういったリアルタイムの音MADに意欲を持った理由などはあるのでしょうか?

前衛的な表現としての魅力と、単純に「やっていて楽しい」という感覚の両方が、自分の意欲につながっていると思います。 

もともとモーレスターを制作していた時期に、さまざまな試みをする中で「モーレスターを実演したら面白いのでは?(sm33324086)」と考えたことがきっかけです。そこから、実際にリアルタイムで音MADを演奏する動画を投稿し(sm33566515sm36735098)、音MADを「演奏する」という行為や、リアルタイムに結果が返ってくる身体性の面白さに魅力を感じました。 その後も、リアルタイム音MAD的な表現を続け、いくつかの動画を投稿してきました。

 

モーレスターからの体験もあったのですね。同シリーズで演奏というと、『れんしゅうスター』 も思い当たりますがバラバボンさんの行っていることはこうした楽器演奏とは別の意識で行っているようにも思います。いわゆる既存の演奏形態からは意図して避けているのでしょうか?

そうですね。私は、あらかじめ決まった楽譜のような正解を再現するのではなく、何が起こるかわからないハプニング的な要素を求めているのかもしれません。また、音MAD的な表現をリアルな場に持ち込み、実際に演奏しているという「状態」そのものに魅力を感じています。 

伊尻さんの『れんしゅうスター』も前衛的でハプニング的な要素がありますが、私が強く求めているのは、素材自体をリアルに持ってきて、その場で音MADに変換することです。 「音MADを演奏したい」というよりも、「リアルな場で音MADを、自分の身体で再現したい」という表現のほうが、私の意図により近いかもしれません。
まだ実践は多くはできていませんが…。

 

─仰っているような気概は既に投稿しているものからも大いに感じますね。美術史上でもそのようにパフォーマンスを織り混ぜた作品はありますが、そういった範囲から構想のヒントを得ることはありますか?

美術史上でヒントを得たものには未来派フルクサスハイレッド・センターなどを講義で習った時に、ハプニングというその場限りのパフォーマンスや、現代音楽、街に繰り出してなにかパフォーマンスをするという行為に興味を持ち始めました。

最近だと足立智美という現代音楽家がいるのですが、彼のパフォーマンスにはヒントを受けまくりました。

彼が私の通っている大学に講義に来た時にワークショップに参加しました。そこからさらに「リアルタイム音MADで何かしたい!」という気持ちが高まりました。彼のようにガジェットを使いリアルタイムに音を変化させて、音MADをしたいと考えています。

 

─音MADのためのガジェットというのは今まで掘り下げられてはなかったところなので、形になるだけでもインパクトは与えられそうです。仰っているような必要な技術の幅を考えるとチーム制作の形態も考えられますが、そちらに関しては意欲的ではないのでしょうか。

確かに、これまでチーム制作という選択肢はあまり考えていませんでしたが、もし実現できたらすごくアツいですね。 ただ、これまで合作の主催・運営経験が少なかったため、きちんと遂行できるか不安があり、その発想に至らなかったのかもしれません。 

しかし、昨年はそうしたチーム制作の機会が劇的に増え、中規模合作の主催や、他の合作での共同パート制作などをやったりして、経験を積めてると感じてます。これから、リアルタイム音MADの技術やノウハウを学びながらチーム制作の経験を重ねて、機会があればチーム制作という方法も、やってみたいですね 

 

─近年のバラバボンさんの企画における立ち回り方からも一層の展開が伺えます。実現も楽しみです!
イベントについての言及も回答にはありました。野外という着眼点がまず興味を惹くのですが、こちらはなぜその発想に至ったのでしょうか。

屋内のクラブイベントはすでに実現されており、その楽しさは圧倒的なものがあります。だからこそ、次のステップとして野外での挑戦をしたいと考えました。 

また、私は現代アートの反芸術的な野外パフォーマンスに強い影響を受けています。その文脈の中で、「音MAD」をどのように現代美術へ導入できるのかに興味があります。さらに、音MADと社会の関係という、一見触れづらいテーマにもアプローチしたいと考えています。 

そこで、「野外でのリアルタイム音MAD」という手法を用いることで、新しい表現の可能性を探りたいと思いました。野外に出れば人がいます。少し過激ですが、人が往き来する空間を音MADで支配する。音MADで侵略する。社会と無理やり繋げてしまおうという意図もあります。 

このような経緯から、このアイデアを思いつきました。

 

─最初の質問への回答でも話しましたが、今までバラバボンさんが制作したものを考えると実現のビジョンはありそうですね。何度かおっしゃっているような、音により素材を支配する、というイメージに当てはまる既存の音MADにはたとえばどんなものがあるのでしょうか?一部のシーンなどでも大丈夫です。

音MADには、元々の素材の意味や音楽性を編集によって変形させる特徴があります。素材は切り刻まれ、ピッチが変えられ、リズムに合わせられ、左右反転させられるなど、様々な手法で再構築されます。この編集の過程で、元の意味が歪められ、新たな文脈が生まれる。私はこの現象を「音(音MAD)に支配される」と表現しています。 

具体的な例を挙げると、以下のような手法が典型的です。 

『ラーメン屋の親父コア』に見られるモーフ変形のような加工 
『イカオー』のように音声を細かく切り刻み、リズムに組み込む手法 
『5WAYマミさん』をはじめとする巴マミの音MADのように、悲惨なシーンをコミカルに変換する編集 
淫夢クッキー☆系音MADに見られる、過剰な改変による音作り 
『みるみる』のサビのように、おもちゃのような音をハチャメチャに遊び尽くす編集 
• ヒカマニのように、恣意的に素材を選び取り、意味を意図的に改変する手法 
モーレスターに代表される、歪み・爆音・破壊的な音作り 
『切身赤子』のように、複数の素材を無理やり繋ぎ合わせ、新たな意味を生み出す編集 

これらの例に共通するのは、素材を音MADの形式に従わせることです。既に意味を持つ音や映像を切り刻み、掛け合わせ、選び取り、破壊し、再構築することで、元の文脈を強引に変えてしまう。この「改編の力学」こそが、音MADの本質だと考えています。これらをもっともラディカルに実現できる可能性を秘めたものが、野外でのリアルタイム音MADだと思ってます。

 

─音楽によって本筋では起こり得ない流れが発生する、というのは自分も体感するところです。楽曲の持つ印象やリズムに重ねてしまえば、突飛な発想も容易に紐付けられますね。
改めてオフイベントの話題に戻ります。野外でのイベントのほかにも何かしらの展示空間に音MADを設置するという考え方も美術の動向に近い発想に来ると思いますが、その点で野外に目を向ける理由はなんでしょうか。

展示空間での発表も、一つの可能性としては非常に面白い試みだと思います。
しかし、それがあまりに洗練されすぎたり、まとまりのあるキレイなものになりすぎることで、音MAD本来の雑多さやカオス性、ある種のノイズとしての魅力が失われるのではないかという危惧があります。また、無理に清廉潔白な社会のルールや既存の芸術の枠組みに押し込められることで、音MADが持つ自由さや独自の表現が制限され、結果としてその可能性が止まってしまうのではないかとも感じます。 

そこで、美術のメインストリームに迎合するのではなく、むしろ反芸術的な視点に立ち、美術館や制度そのものを批判的に捉える「美術館批判」の系譜に着目することで、音MADの新たな可能性を探ることができるのではないかという発想になりました。例えば、伝統的な美術空間ではなく、ストリートアート的(野外演奏など)なアプローチを取り入れることで、既存の芸術の枠から逸脱しつつも、より独自性のある展示や発表の方法を模索することが可能かもしれません。 

 

─今までのお話を考えると納得がありますね!いわゆる、音MADのラディカルな側面を捉えた時、そこに収まらないというのは大きい意味を持ちそうです。音MAD自体がゲリラ的に起こることを考えると、相性は良いようにも思いました。
最後にお聞きしたいのですが、そういった行為へ進展していったときにも音MADという言葉は使用されるかどうか、という点ではバラバボンさんはどのように考えるでしょうか?ほかの媒体が持つアプローチに接近すると、既存の言葉にも置き換えられがちになるとは思います。そのとき、音MADという言葉は残るのか、また、残されるとするならどういったエッセンスが必要になると思いますか?

先述の行為に「音MAD」という言葉が使われ続けるかどうかについてですが、私は「手法の一つとして」 残る可能性が高いと考えています。音MADがより広い表現手法と接近していくことは十分にあり得ますが、素材と曲に演者が加わったとしても、音MADの根底が変わるわけではありません。そのため、私はその行為をする際にも、引き続き「音MAD」という言葉を使いたいと思っています。 

ただし界隈的な、音MADを主体とした活動は、ニコニコ動画YouTubeといったプラットフォームに依存する部分が大きく、規約変更やサービスの存続次第でその形は大きく変わり、なくなってしまう可能性もあります。しかし、音MADの技術や手法そのものは、他のジャンルにも取り入れられ、別のコンテクストで活用されることになると考えています。例えば、音MAD的なカットアップ編集がDJやライブパフォーマンスに取り入れられたり、映像作品や現代アートの一環として音MAD的な表現が活用されたりすることが想定されます。こうした進化を遂げたとしても、「音MAD的な手法」は確実に残り、音楽制作や映像編集の分野において、「音MAD」という言葉自体も使われ続ける可能性があると思います。 

また、音MADのエッセンスについてですが、私は「既存の素材の文脈を破壊・再構築し、リズムや音程を整えることで新たな意味を生み出す行為」 にあると考えています。これは単なるリミックスやサンプリング音楽とは異なり、視聴者の文脈知識を前提とした遊びや意外性を持ち、素材の持つ元の意味をずらすことによって独自の面白さを生み出す点に特徴があります。 

さらに、音MADには「ゲリラ性」や「偶発性」があり、突発的・実験的に発生することが多いです。映像と音楽が密接に結びついている点も特徴的であり、単に音を組み替えるだけでなく、視覚的な要素との連動が重要になります。 

加えて、音MADは「拡張性(音MAD宇宙論)」を持っており、どんな素材でも、どんなアプローチでも適用可能な柔軟さがあります。このため、リミックスやDJ、サンプリング音楽と重なる部分を持ちつつも、それらとは異なる自由度の高い表現として機能するのではないでしょうか。 

まとめて、音MADは素材の持つ元の文脈を破壊しながら、音楽的な統一感を持たせ、視聴者の文脈知識を前提に楽しませる独自の編集技法であり、音楽と映像の相互作用の中で新たな価値を生み出す表現手法であると考えていて、これらが音MADに必要なエッセンスだと考えてます。

 

─音MAD的だ、という言葉は様々な場面で見かけますね。たとえプラットフォームの層が薄れていっても、それを想起する人々が一定数いるうちは、言葉自体が残っていくのかもしれないです。
また、「新たな意味を生み出す行為」というのはこれまでのバラバボンさんのお話や動画の系譜を踏まえると重要なニュアンスにも思います。もともとは何らかの意味、用途があったものを音楽によって容易に変形させ、しかもそれを音声として容易に受け取ることができる。こういった動画を通したやり取りを可能にしやすいのも、音MADの共通認識として効果していると思います。


──改めまして自分からの質問は以上になります。ありがとうございました!
バラバボンさんの制作や視野を通して今までのお話を聞くと、今後の音MADで何が起こるか楽しみになってくる実感がありますね。最後に、今までの3つのやり取りを終えた所感としてコメントを頂いてもよろしいでしょうか?

私が普段ごちゃごちゃ考えていることを一気に吐き出す機会はすごく貴重な体験でした。つたないですが言語化してみると考えの輪郭が見えてきて、課題などが浮き彫りになり、「ずいぶんと難しい領域に手を突っ込んでしまったな」と感じますね。音MADの動向を概観したり音MADの定義や可能性は、引き続き考えていきたいです。そしてそれらを何らかの成果物にしたいと強く思えました。
この機会を設けてくださり、すごく感謝です!ありがとうございました!


今月の記事は以上となります。
バラバボンさん、改めましてありがとうございました!
来月の更新も引き続き、よろしくお願いいたします!